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東京高等裁判所 平成12年(行コ)110号 判決

控訴人

井本尊

右訴訟代理人弁護士

平林良章

被控訴人

浦和市

右代表者市長

相川宗一

右訴訟代理人弁護士

新井修市

横山豪

主文

一  原判決を取り消す。

二  別紙図面記載の道路中心線から左右(南北)に二メートルずつ、計四メートルの幅員の土地について、浦和市長の道路位置指定処分が存在する建築基準法四二条二項の規定に基づく道路であることを確認する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨(当審における請求の拡張を含む。)

主文と同旨

第二  事案の概要

一  本件は、控訴人が一括指定方式により指定された建築基準法(以下「法」という。)四二条二項に規定するみなし道路であると主張する土地について、被控訴人が右みなし道路であることを争うので、控訴人が被控訴人に対し、右みなし道路であることの確認を求めた事案である。控訴人は、原審で、右みなし道路と主張する土地の一部について確認請求をしていたところ、当審で、右みなし道路と主張する土地の全部に請求の拡張をした。

二  当事者の主張

次のとおり訂正するほか、原判決事実「第二 当事者の主張」記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決三頁七行目の「中央に」から同九行目の「あり」までを「中央部分に東西を貫く形で公道(浦和市道)に通じる幅員1.8メートル以上の原判決別紙図面一記載の私道(ただし、同図面の記載は現況であるので、幅員が1.8メートルはない。以下「本件私道」という。)があり」に改め、同末行の「別紙図面二」の次に「(ただし、八三番一の北側部分が平成九年合筆前は八二番五である。)」を加え、四頁一行目の「八二番土地は同番一ないし五」を「八二番土地は同番一ないし六」に改める。

2  五頁五行目の「新たに、同細則」を「新たな浦和市施行細則」に、同七行目の「その手続」を「右細則の各相当規定に基づいてされた手続」にそれぞれ改める。

3  七頁九行目の「当庁」を「浦和地方裁判所」に改める。

4  八頁四行目の「本件私道」を「本件私道中心線から左右(南北)に二メートルずつ、計四メートルの幅員の土地」に改める。

5  八頁七行目の「1.8メートルであること」を「1.8メートル以上あったこと」に改める。

第三  当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実に、証拠(甲一、二の1・2、三の1ないし22、四の1ないし4、五の1ないし8、六の1ないし10、七の1・2、八ないし一〇、一一の1ないし8、一三ないし一五、一七ないし一九、二三ないし二五、乙二ないし四の各1・2、五、六、八、一〇の1ないし4、一二、一三、証人片倉博之)及び弁論の全趣旨を併せると、以下の事実が認められる。

1  本件私道の平成六年二月ころの現況は、別紙図面(原判決別紙図面一と同じ。ただし、「関重夫」は「関茂夫」の、「野木稔」は「野本稔」のそれぞれ誤記であり、地番については後記のとおりである。以下の記号はいずれも別紙図面記載のものである。)記載のとおりであり、本件私道の東西は、浦和市道(東側の浦和市道は、二項道路である。)と接しており、控訴人所有地は、本件私道の北側にあり、その東側は二村所有地に、西側は野本所有の八二番六の土地(以下「野本所有地」という。)にそれぞれ接し、また、本件私道の南側は、鈴木朝雄所有の八二番三の土地(以下「鈴木所有地」という。)、今関所有の八二番四の土地(以下「今関所有地」という。)、関所有地となっている。a、b、c、d、e、fの各点を結ぶ線及びg、h、i、k、mの各点を結ぶ線が各所有地の建物敷地と本件私道の現況を画する線であり、右各線上にブロック塀又は石塀が設置(各出入口部分等を除く。)されており、今関方の石塀は瓦屋根付きで、その屋根部分が本件私道側に突き出ているが、通行には格別の支障がない。また、二村方のk点とm点を結ぶ線上のブロック塀の外側からi点とj点を結ぶ線上までの本件私道の部分には花壇が設置されていた。二村所有地のうち、本件私道(花壇部分を含む。)が存する地番は八二番九であり、その北側に建物敷地の八二番一がある。関所有地のうち、本件私道が存する地番は八二番八、これに面する建物敷地の地番は八二番五であり、その南側に八三番一があり、鈴木及び今関各所有地のうち、本件私道が存し、これに面する土地の地番は八二番三及び八二番四である。

また、浦和市建築指導課(以下「建築指導課」という。)が平成六年一月五日にした本件私道に関する現地調査(以下「平成六年現地調査」という。)では、本件私道の幅員は、g点(野本所有地の塀の角部分)とf点(鈴木所有地の塀の角部分)との間(以下「gf間」という。)で1.655メートル、e点付近の控訴人所有地の塀と鈴木所有地の塀との間で1.710メートル、d点とi点の中間付近の控訴人所有地の塀と今関所有地の塀の庇(瓦屋根付きの石塀の庇が本件私道側に突き出た部分)との間で1.350メートル、a点(関所有地の塀の角部分)とm点(二村所有地の塀の角部分。ただし、その本件私道側に1.2メートル幅の花壇がある。)との間で3.840メートルであった。さらに、建築指導課が平成九年一二月一八日にした本件私道に関する現地調査(以下「平成九年現地調査」という。)では、本件私道の幅員はgf間で1.655メートル、e点付近の控訴人所有地の塀と鈴木所有地の塀との間で1.83メートル、d(e)点付近の控訴人所有地の塀と今関所有地の塀(平成六年時の塀が造り替えられた。)との間で2.95メートル、c(b)点付近の今関所有地の塀と二村所有地の塀(平成六年時の花壇の淵部分であるi点とj点を結ぶ線上付近に塀が造り替えられた。)との間で2.96メートル、二村所有地の塀と関所有地の花壇の淵(平成六年時の塀の本件私道側に浦和市道からの入口部分及び玄関先部分を除き、ブロック積みの花壇が設置された。)との間で1.72ないし1.74メートル、浦和市道に面した二村所有地の塀と関所有地の塀との間で2.71メートルであった。その間の平成七年一一月ころに近藤土地家屋調査士がした測量の結果では、本件私道の幅員は、控訴人所有地の塀と鈴木所有地のブロック塀との間で1.83ないし1.84メートル、控訴人所有地の塀と今関所有地の石塀との間で1.68ないし1.90メートル、今関所有地の塀と二村所有地の塀との間で1.91メートルであり、今関所有地の石塀のd点は、鈴木所有地のブロック塀のe点より一五センチメートル本件私道側に突出しており、右石塀の瓦雨落ち線は石塀の淵から三三センチメートル本件私道側に出ていた。

2  二項道路に関する現地調査については、浦和市においては、従前、鳥取県土木部長からの照会に対する建設省の回答(昭和三九年一一月二六日付け住指発第一九二号)において、「(建築)確認は、必ずしも、あらかじめ現場確認を行うことを義務づけるものではなく、提出された確認申請図面に道路が明示され、これに基づいて審査したものであれば、確認は有効である。」とされていたことを踏まえて、建築主事は、建築確認申請書添付図面に二項道路であると明記され、しかも右記載が資格ある建築士によってされたものであるなど提出された書類から右申請の不実過誤が認められず、格別の問題もないと判断される場合には、現地調査をすることなく、建築確認を行うとの取扱いが一般的であった。その際、浦和市においては、住宅地図に二項道路であるか否かを書き込んだもの(ただし、全地域について記載してあるものではない。)を参考にしていた。

その後、昭和五九年ころからは、浦和市においても、建築確認の審査に際して、法四二条二項所定のみなし道路の要件を具備しているか否かについて、原則として現地調査をするようにその取扱いを変更したが、建築確認の申請全件について、現地調査を行うことは、実際上困難であることから、問題のありそうな事案についてのみ現地調査を行っているのが実情である。

3  浦和市においては、開発行為等に関する協議基準等を策定して、二項道路に接する敷地に建築物を建築するときは、建築確認申請書を提出する以前に後退用地を原則として分筆登記(地目は公衆用道路とする。)し、後退線に境界標石を設置しなければならないとし、右後退用地には建築物、門、塀、生垣等及び敷地を造成するための擁壁を建築し又は築造してはならず、既設のものについては原則として建築確認申請以前に撤去しなければならないとしており、その上で、建築確認申請図面にも二項道路であることを明記して建築確認申請がされていたもので、これに違反する場合には、原則として建築確認申請の受理自体がされず、分筆登記等をすることを行政指導していた。また、角地の所有者に対しては、建築確認申請の受理後、隅切りを要求しており、建築確認申請を(代行)する建築業者は、いずれもこれらの行政指導に従っていた。

また、二項道路に該当しない場合にも、通路の奥の土地利用者のために、将来的に幅員四メートル幅の私道を確保するために、後退用地を敷地に含めず、公衆用道路として分筆登記手続をすることもあるが、これはあくまで当該土地所有者の任意の協力によるものであり、このような場合には、建築確認申請図面にも二項道路でない旨明記されていた。

4  本件私道が、開設された時期は不明であるが、極東駐留米軍が昭和二二年一一月八日に撮影した航空写真には、既に本件私道が撮影されているところ、その幅員は不明である。そのころ、本件私道の両側にはおおむね前記1の各所有地ごとに区分されて建物が建ち並んでおり、右各所有地が昭和二四年ころ、その地上の建物所有者(居住者)らに払い下げされた。

そして、控訴人が、昭和三五年一〇月五日、控訴人所有地を購入した当時、本件私道は、各所有地の植え込み又は板塀で囲まれていた。すなわち、二村所有地及び鈴木所有地と本件私道との間にはそれぞれ植え込みがされ、控訴人所有地、今関所有地、野本所有地及び関所有地と本件私道との間にはそれぞれ板塀が設置されていた。そして、本件私道の両側の右植え込み及び板塀は、それぞれほぼ一直線になっていたもので、控訴人方のほか、野本、今関及び関方の各出入口は本件私道に面して設置され、いずれも本件私道から出入りしていた。

その後、昭和四〇年ころ、二村所有地には右植え込みに替えてブロック塀が設置され、今関所有地には右板塀に替えて瓦屋根付きの石塀が設置されたが、二村及び今関は、右各塀を従前の塀よりも一五センチメートルくらい本件私道寄りに設置したもので、今関の石塀は、壁面から三三センチメートルの庇が突き出た瓦屋根付きのものであった。今関は、平成九年に右石塀を取り壊して上部がフェンスのブロック塀を本件私道中心線から二メートル後退して設置した。また、昭和四四年ころ、鈴木所有地上の居宅の新築に際し、従前の植え込みに替えてブロック塀が設置された。

野本所有地には、昭和四〇年ころ、従前の板塀に替えてブロック塀が設置されたが、その際右ブロック塀(野本方出入口横から控訴人所有地寄り部分)は従前の板塀の外側に沿って一五センチメートルくらい本件私道寄りに設置され、その後設置された鈴木所有地のブロック塀との間が約1.69メートルとなった。さらにその後、昭和四七年ころ野本方建物が増築された際、右ブロック塀の野本方出入口から西側の浦和市道寄り部分がブロックの二分の一分(二二センチメートル)だけ本件私道側に拡げられて設置され、その結果、右ブロック塀と鈴木所有地のブロック塀との間が約1.65メートルになった。

5  控訴人は、設計及び建築施工業者を通じて、昭和三七年九月、本件私道を二項道路(建築基準法施行以前の道路)とし、控訴人所有地をこれに接道する建物敷地として建築確認申請をし、同月二一日、建築基準法令等に適合している旨の建築確認を受けるとともに、同月三日付けで申請していた住宅金融公庫融資住宅設計審査についても合格とされて、住宅金融公庫から借入れをして控訴人所有地上に建物を新築し、従前の板塀を上部がフェンスのブロック塀に造り替えた。

6  関及び光明は、昭和五四年に関所有地に居宅を建築するに際して、建築確認申請に先立って、同年三月一日、関所有地のうち本件私道を二項道路とした場合の後退用地(東側の浦和市道と接する隅切り部分の土地を含む。)について、八二番五から八二番八として分筆し、また、東側の浦和市道についても同様の後退用地について、八三番一から八三番六として分筆し、いずれも地目を公衆用道路とする旨の登記手続を了し、同月六日、浦和市に対し、建築主を光明として、関所有地上に専用住宅を新築する旨の建築計画概要書等を提出して建築確認申請をしたが、その添付図面に、本件私道の現況幅員1.800メートル、本件私道の中心線から申請建物の建築後退線まで2.000メートル、本件私道が二項道路であり、これが東側の浦和市道に交わる部分について隅切りをする旨等を記載しており、本件私道を二項道路として建築確認申請をしたものであり、浦和市建築主事は、同年四月一七日、申請どおり建築確認をした。

右居宅の建築の際、関及び光明は、従前の塀を撤去して、本件私道の中心線からおおむね二メートルの位置であるa点とb点結んだ線上に後退させてブロック塀を設置した。

7  二村は、昭和五四年に二村所有地上に専用住宅を新築することとし、同年六月四日、浦和市に対し、建築計画概要書等を提出して建築確認申請をしたが、その添付図面に、本件私道の現況幅員1.600メートル、本件私道及び東側の浦和市道の中心線から法四二条二項による道路境界線まで2.000メートル、両道路が交わる部分について二メートルの隅切りをする旨等を記載しているもので、右申請と同時に、浦和市開発行為等に関する協議基準に従い、後退用地部分の分筆登記及び地目変更を「昭和 年 月 日」(手書きで「確認時」と付記されている。)までに済ませる旨の誓約書を提出して、浦和市建築主事は、同月二五日、本件私道を二項道路として、建築確認をした。

二村は、前年の昭和五三年四月一二日に二村所有地である八二番一から東側の浦和市道を二項道路とする後退用地について八二番地七として分筆登記手続をしていたところ、昭和五四年六月一四日、同土地について地目を公衆用道路とする旨の登記手続を了した。

8  二村、関、野本、鈴木、今関及び控訴人は、昭和五四年七月一七日及び同年八月四日、建築指導課長斉藤圭弘ら担当者とともに、浦和市役所会議室に集まり、本件私道の取扱いについて協議したところ、同担当者から本件私道は二項道路であると指導され、二村は、これに従い、同年一一月二二日、八二番一から本件私道を二項道路とする後退用地について八二番九として分筆し、地目を公衆用道路とする旨の登記手続を了した。

そして、二村は、右居宅の建築に際し、本件私道の中心線からおおむね二メートルの位置であるk点とm点を結んだ線上にブロック塀を設置した。

9  平成五年四月ころ、二村所有地の東側にある浦和市道の幅員が四メートルに満たないことから、近隣住民から、建築市道課に対し、右浦和市道に接する二村所有地上の塀を後退し、市道を拡幅してほしい旨の要望が出された。

そこで、建築指導課は、同月二二日、現地調査をし、右浦和市道が二項道路であることが確認されたので、二村に対し、右塀の後退を求めたところ、同人はこれを承諾した。

その後、二村は、本件私道について、昭和五四年の建築確認の際、幅員1.6メートルとして建築確認を受けているので、二項道路ではないとして、本件私道部分については、昭和五四年当時の状況に復する等と主張し出したことから、本件私道が二項道路であるか否かということが争いになり、建築指導課は、平成六年現地調査を実施した。ただし、右調査は、本件私道の現況の幅員を計測したのみで、過去にさかのぼって幅員がどうであったかという調査は全くしなかった。その後行われた平成九年現地調査も同様であり、右各調査の結果を作図した図面も必ずしも正確なものでなく、おおよその塀等の位置が記載され、その間の道路幅が数か所記載された程度のものにすぎない。

10  平成六年現地調査で本件私道の現況幅員が1.8メートルなかったことから、建築指導課では本件私道が二項道路であるとはしなかったため、二村は、平成六年一月六日、控訴人に対し、本件私道は二項道路ではないので昭和五四年の新築以前に存したブロック塀の位置まで戻すと通知し、二村所有地上の塀の外側の本件私道上のi点とj点を結んだ線上部分までコンクリートブロックの花壇等を設置したため、控訴人は、右花壇等が控訴人らの通行権を侵害する等として、二村を被告とする別件訴訟を提起した。二村は、平成六年四月二二日、八二番九から右花壇部分の土地として八二番一〇を分筆し、地目を宅地とする変更登記手続をした。別件訴訟における裁判所の建築指導課あての調査嘱託に対し、建築指導課長北原高光名で本件私道を二項道路として認定しておらず、認定したことはないなどとの内容の回答がされ、さらに、同課長が証人尋問でも同様の証言をしたため、裁判所から本件私道が二項道路でないことを一応の前提とする和解を勧められ、控訴人もこれに応じざるを得なくなり、控訴人と二村は、平成八年一一月一日の第一三回口頭弁論期日において、①控訴人と二村は、本件私道をめぐる紛争を本件和解により解決し、今後は円満な近隣関係を築きあげていくことに努める、②本件私道の幅員として1.80メートルを維持するため、二村は、本件私道の中心線より九〇センチメートルの位置を限度として、浦和市道に存する高さ(一九〇センチメートル以内)に合わせてブロック塀を設置することとし、控訴人はこれに異議を述べない、③二村は控訴人に対して、右範囲内の通行を妨害しない、④本件私道について、道路関係土地所有者全員が幅員を四メートルとするため前記中心線よりそれぞれ各二メートルとすることに合意した場合には、二村もこの合意に同意するとともに、前項のブロック塀についてはこの内容に反しないようにするために必要な措置を講じる、⑤本件私道が法四二条二項による道路であることが確定された場合においても、二村は右と同じ措置を講じる旨等を内容とする裁判上の和解(以下「本件和解」という。)をした。

11  二村は、平成八年一一月ころ、本件和解に基づき、本件私道上のi点とj点を結んだ線上付近にブロック塀を設置した。

次いで、関は、平成九年八月ころ、二村から本件私道が二項道路でないといわれ、建築指導課にも問い合わせて同様の回答を受けて、二村所有地のブロック塀の前の本件私道上に、浦和市道からの入口部分及び玄関先部分を除き、ブロック積みの花壇を設置し、同年七月二九日、本件私道敷として八二番五から八二番八を分筆したのを錯誤訂正した上、同年九月五日、右八二番五の土地及び八三番一の南側にあった同人所有の八四番八の土地を八三番一の土地に合筆する旨の登記手続をした(これにより、土地地番が原判決別紙図面二のようになった。)。

二1  被控訴人は、浦和市施行細則(甲二一、二二)を定めて、法第三章の規定が適用されるに至った際現に建築物が立ち並んでいる幅員四メートル未満の道で、一般公衆の通行の用に使用されていて、幅員が1.8メートル以上四メートル未満のもので、側溝その他適当な標識によりその境界の明確な道を一括して二項道路とする旨の本件指定処分をした(当事者間に争いがない。)ところ、控訴人は、本件私道についても、本件指定処分を受けたと主張するのに対し、被控訴人は、本件私道は二項道路としての右幅員の要件を具備していないと主張する。右一4認定の事実によれば、本件私道が、第三章の規定が適用されるに至った際、現に建築物が立ち並んでいる幅員四メートル未満の道で、一般公衆の通行の用に使用されており、側溝その他適当な標識によりその境界の明確な道であると認められ、これらの点については、被控訴人においても明らかに争っておらず、被控訴人が問題にするのは、基準時(法施行時、すなわち昭和二五年一一月二三日)における本件私道の幅員が1.8メートル以上あったか否かだけであるので、以下この点について判断する。

2  右一1認定の事実によれば、紛争となった平成六年ころ以降の本件私道の現況幅員が1.8メートルに満たない部分があることが認められる(なお、平成六年現地調査の結果(控訴人所有地の塀と鈴木所有地の塀との間の測定値)の正確性には、その後の測量結果等に照らし疑問があるので、この測定値を除く。)が、これから直ちに基準時においても幅員が1.8メートルに満たなかったとは推認できない。他方において、基準時における測量図面があれば、直接証拠として右幅員の要件該当性の判断は容易であるが、本件においてはそれがなく、また、二項道路該当性が争われる場合にはそれがない場合が大半であろうから、このような場合には、判明している現況幅員を前提に、過去の事実にさかのぼって間接事実(間接証拠)の積み重ねによって判断していくしかない。

そこで、本件についてこれを検討するに、前記一認定の事実によれば、控訴人は昭和三七年に、関及び光明並びに二村はいずれも昭和五四年に本件私道を二項道路とする旨の建築確認申請をし、その旨の確認申請を受けていること、特に、関及び光明は建築確認申請前に関所有地のうち二項道路として後退を要する土地を分筆し、公衆用道路として登記手続をし、かつ、実際にも本件私道中心線から二メートル後退して塀を設置したこと、二村も事後的ではあるが建築指導課の本件私道が二項道路である旨の指導に従って二村所有地のうち二項道路として後退を要する土地を分筆し、公衆用道路として登記手続をし、かつ、実際にも本件私道中心線から二メートル後退して塀を設置したこと、控訴人が昭和三五年に控訴人所有地を取得したころは、本件私道と各所有地の建物敷地との境界(板塀又は植え込み)はほぼ一直線であったのに、昭和四〇年ころ以降になって二村、今関及び野本がいずれも従前の塀を造り替える際にそれぞれ一五ないし二〇センチメートルくらい本件私道寄りに新たな塀を設置し、そのため本件私道と各所有地の塀に凸凹が生じたことが認められ、右一1認定の現況幅員にこれらの事実を併せ考慮すると、控訴人が控訴人所有地を取得した昭和三五年ころないし昭和四〇年ころまでの本件私道の現況幅員は1.8メートル以上あったものと認めることができ、この状態は基準時においても同様であったものと推認することができる。しかも、本件私道が二項道路に当たることは、これにより建築敷地の後退を余儀なくされる二村、関ら周辺土地所有者においても承知・承諾していたもので、被控訴人においても昭和五四年ころにはそのように判断し、建築確認についての行政指導をしていたものであり、被控訴人が本件私道が二項道路に当たらないとし出したのは、平成五年に二村所有地に隣接する東側の浦和市道の拡幅を二村に指導したのに対し、二村から本件私道が二項道路でないと主張され、当時の現況では二項道路の幅員の要件を満たさなかったことなどから、これに反論しなくなったことによるものである。

被控訴人は、本件私道を二項道路として建築確認がされても、現地調査で確認されていないから、本件私道が二項道路であるということはできないと主張するが、過去に複数回にわたり二項道路であることを前提として建築確認がされているのであるから、他に本件私道が二項道路に当たらないと認定し、又は、これを推認し得るような特段の事情がない限り、二項道路に当たると推認すべきである。この点について、昭和五四年に二村が建築確認申請をした際の添付図面に本件私道の現況幅員が1.600メートルと記載されているが、他方において、本件私道を二項道路としたものであることは前記一7認定のとおりであるから、右「1.600メートル」はあくまでも現況を記載したにすぎないものと認められ、その現況は前記のとおり二村らにおいて塀を造り替える際に本件私道寄りに設置した結果であるから、右現況から本件私道が二項道路の幅員の要件(基準時において1.8メートル以上あること)を満たさないということは到底できない。

3  以上のとおりで、本件私道は、浦和市長が浦和市施行細則によりした本件指定処分に係る二項道路であると認められる。

三  よって、控訴人の請求は理由があるから、これを棄却した原判決を取り消し、控訴人の請求を認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官奥山興悦 裁判官杉山正己 裁判官沼田寛)

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